2015/10/29

藤本由紀夫 丹羽康博「台本は書かれた」





丹羽康博 制作ノートより






藤本由紀夫 丹羽康博 「台本は書かれた」

2015年11月7日(土)~12月12日(土)
12:00- 18:30
【ただし11月28日はfrontでのイベント開催のため、11:00から15:00まで】
日月・祝日 休廊

アーティスト・トーク:
11月7日(土) 18:00~
作家ふたりが、展覧会について語ります。予約不要ですので、お気軽にご参加ください。





ギャラリーキャプションでは、11月7日より12月12日まで『藤本由紀夫 丹羽康博 「台本は書かれた」 』を開催いたします。本展は、音を視覚的に表現したサウンド・オブジェや、見ること、聞くことを通じて音とは何かを問いつづける藤本由紀夫(ふじもとゆきお/1950年名古屋生まれ)と、「詩としての行為」として、集積された行為の痕跡を、詩的なふるまいへと高めながら、自然と自らとの関係性を確かめようとする丹羽康博(にわやすひろ/1983年岐阜県生まれ)のふたりが、それぞれの作品を持ち寄って行われる、普段からの制作の延長線上にある「2人展」とは異なるところを目指そうとするものです。

この企画は、ギャラリーから個展の打診を受けた藤本の「自分の個展ではなくだれかとふたりでなにかをしたい」という提案からはじまりました。

藤本は近年「phono/graph-音、文字、グラフィック」展(2011年大阪のdddギャラリーをきっかけに、以降、ドイツ、名古屋、京都、東京、神戸で展開)のように、美術作家やデザイナーを中心としたジャンルの異なるクリエイターたちとともに、ひとつの展覧会を作り上げることを行ってきました。お互いがまじりあい、刺激を受けることで、自分ひとりのアイデアでは思いつかないような展開が生まれることが面白いのだと藤本は言います。人の手や視点を借りながら、すでにあるものの枠組みをずらし、組み替える、藤本のコンセプトのひとつである「separation-conjunction」(分離と結合)を思わせる制作手法が、展覧会そのものに持ち込まれているとも言えるでしょう。

そんな、お互いの作品の枠組みを越えたところで、何が生まれるのかを試みたい、という藤本からの提案の「だれか」としてギャラリーは、3分間の呼吸をガラス瓶に閉じ込めた「Three minutes breathing」や、立木から落ちてくる葉を手で受けとめた「I caught falling-leaf.」のように、自身の行為とそれにともなう詩的なリズムをかたちに宿そうとする丹羽康博をあげました。
 
今年に入り、お互いの「いま興味のあること」から対話をかさね、展示への足がかりを探るなかで、丹羽から「身体性」「体をつかう」というキーワードが出されました。身体をつかっての表現には、動きがともない、リズムが生まれる。そこからイメージは「演劇」へと派生していき、丹羽が「台本」をしたためることになりました。
 
「台本」と「演じること」。これは一見するところ美術とはかけ離れた展開のようにも思われます。しかしながら藤本が発表の場を主に美術館やギャラリーにおきながら、美術家ではなく音楽家としてのスタンスを保ちつづけていること、一方で丹羽が行為の集積をかたちにしようと試みていることからすれば、自然な成り立ちであったのかもしれません。

音楽の世界では、ある作家が作曲した音楽、楽譜を、演奏者たちがさまざまな解釈のもと演奏することが、各々の表現とされています。そこには作曲者と演奏者の対話と共演があり、ひとつの楽譜のもとに無限の解釈が許容されています。そして興味深いことに、演奏することも演じることも英語では「play」と表現されます。演劇のための台本は、音楽で言うところの楽譜ととらえることができるでしょう。
 
そしてふたりは、丹羽が用意した461のセンテンスから成る「台本」から、各自9つを選び出すことにしました。打ち合わせられているのはここまで。それぞれの9つの台本をどう解釈するのかはもとより、相手が選んだ9つの台本の内容すら、お互いに知らされていません。ちなみに先述の「play」とは遊ぶことでもあります。丹羽が用意した台本をもとに、作家ふたりは展示の場において、演じ、演奏し、遊ぶ、あらゆるplayの可能性を模索し、示してくれることでしょう。

会期中には是非ご高覧賜りますよう、ご案内申し上げます。