藤本由紀夫 アーティスト・トーク 2018
藤本由紀夫 アーティスト・トーク
期日:2018年12月1日(土)
時間:15:00-17:00 (14:30開場)
定員:25名
年末恒例となりました藤本由紀夫さんのアーティスト・トーク。
今年は、8月に芦屋市立美術博物館で行われたアートスタディプログラム「まなびはく2018 “薄い世界について”」で、藤本さんがお話された内容をベースにお願いしました。
マルセル・デュシャンの造語である≪アンフラマンス≫、
そして稲垣足穂が「薄板界」と名付けた≪薄い世界≫。
『・・・そうです。この街は地球上の至る所にあります。ただ目下のところ大変薄いだけです。だんだん濃くなってきましょう』 (稲垣足穂 「薄い街」)
小説のなかのこの奇妙な予言が、実は21世紀になり、リアリティを増しているのではないか、と考える藤本さんが、ふたりが関心を寄せていたステレオビューワー(3D)から「薄い世界」について紐解きます。皆さまのご参加をお待ちしております。
今回のトークのキーワードは「3D」。
3 Dimensionの略、三次元です。人間の目はなぜふたつあるのか? それは右目と左目で見ているものが少しずつ異なり、その像を脳内で重ね合わせることによって、ものが立体的に見えたり、景色に奥行きが生まれるため、というのは、皆さんご存知なところ。この原理を用いて、2次元を3次元的に見せるための装置が「ステレオ・ビューワー」と呼ばれるものです。ビューワーに少しずつ像がずれた2枚の写真(ステレオ写真)を差し込みのぞくと立体的に見えます。赤青メガネで見るものや、ビューワーを用いず、裸眼立体視によって見るものもあります。少し前には3D映画なども流行りましたが、最近はあまり見かけません。最初はもの珍しさに人が集まりながら、リアルの無さ、うそっぽさにすぐ飽きる、ということを繰り返し、20年から30年周期でブームがやって来るという「3D」。それを愛好していたのが、ほかでもない稲垣足穂とマルセル・デュシャンです。
3Dの特徴は「薄い」こと。現実世界は立体的でボリュームがあるにもかかわらず、ステレオ・ビューワーで再現された三次元は、レイヤー構造のようにペラペラでポップアップを見ているよう。このおもちゃのような娯楽的な装置に、稲垣足穂とマルセル・デュシャンは何を見出していたのでしょうか。藤本さんはこの「薄さ」こそ、ふたりの「薄板界」と「アンフラマンス」つながるのではと考察します。
と、その前に、キルヒャーの「カメラオブスクラ」についてもお話されました。いわゆる「暗箱カメラ」で、3次元を2次元に置き換える、今日のカメラの原点となったしくみです。実はこの「カメラオブスクラ」、「暗い部屋」の名の通り、移動式の部屋になっていて、当時の貴族たちは、景色の良い場所へわざわざ運ばせて、周辺の景色を部屋のなかに投影して楽しんだと言われています。3次元を2次元に置き換えたカメラオブスクラ、2次元を3次元へ置換させるステレオ・ビューワー。このあたりにもなにか手掛かりがありそうです。
さて、まずは稲垣足穂(1900年-1977年。大阪生まれ)。
「一千一秒物語」「ヰタ・マキニカリス」「少年愛の美学」などで知られています。藤本さん曰く『こんな葉巻が似合う日本人はいない』。デュシャンもハンサムで超モテモテだったのは有名な話ですが、足穂も若かりし頃は関西学院大学に通うおしゃれな美男子だったとか。その稲垣足穂の「ヰタ・マキニカリス」におさめられた短編のいくつかに「薄板界」(はくばんかい)なるものが登場し、それは、ちらっと見る、わき見のうちのある瞬間に見える世界であると書かれています。
・・・
『ぼくが考察するに、この世界は無数の薄板の重なりによって構成されている。それらは極めて薄く、だから、薄板面にたいして直角に進む者には見えないけど、横を向いたら見える。・・・』(「タルホと虚空」)
『・・・いったいここにきみとぼくという二人が、この限定した時間と空間の中にいることが事実であるなら、それと同様、同じきみとぼくが、また別の時間と空間の中に存在することも可能ではないか・・・若しそれが夢であるなら、いまここに、このわれわれが歩いているというのもひとしく夢でなくてはならない・・・』(「タルホと虚空」)
『現実世界の時計の針が刻む秒と秒とのあいだに、或るふしぎな黒板が挟まっている。そのものはたいそう薄い。肉眼ではみとめることができない。けれどもそれらの拡がりは宏大無辺である。』(「童話と天文学者」)
・・・
次に、マルセル・デュシャン(1887年-1968年。フランス生まれ)。
「網膜的絵画を否定した」と言われているデュシャンですが、先ごろの東京国立博物館での展覧会「マルセル・デュシャンと日本美術」でも見られたように、30代までに制作された絵画は素晴らしいものばかり。「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」、通称「大ガラス」のようにガラス素材を用いたり、「ロトレリーフ(光学的円盤)」を作ったり、デュシャンは光学的現象に興味を持っていました。
そして足穂の「薄板界」と同じように「アンフラマンス」という造語を残しています。「inframince」、日本語では「極薄」と訳されますが「極めて薄い」というよりも、「物理的な薄さを超えた」という捉え方が正しいようです。デュシャンは「アンフラマンス」について「人が去った後の座席のぬくもり」「コーデュロイのズボンが二本の脚の間で擦れる音」「煙草の煙と口に残る香りがつなぐもの」「銃声と同時に被弾するその瞬間にあるわずかな時間的ずれ」などと記した46点ほどのメモを残しています。藤本さんは、どうもそのさりげなさを装ったメモの破り方が相当意図的であやしいと指摘しながら、「アンフラマンス」とは、視覚や触覚で捉えられるものではなく、かと言って気配でもないものであり、ステレオ写真の、ほとんどそっくりでありながら、イコールではないその存在に「アンフラマンスな類似」を見ていて、「レディメイド」の大量生産のなかのわずかなズレも「アンフラマンス」であると考えていたのではないか。また何より「一方から他方への移行はアンフラマンスにおいて起こる」と記している「移行=passage」は、デュシャンを考える上で、重要な言葉のひとつであり、「大ガラス」は3次元から4次元への移行を示したものであると話されました。
『見ることだけが、絵画だろうか』。
絵画が2次元から3次元への移行を促すものであるならば、その通過の過程こそが「アンフラマンス」であり、デュシャンは「大ガラス」という3次元の装置で4次元を表現しようとしたのです。
さてここからが今回の山場です。
デュシャンの「与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス」、通称「遺作」。フィラデルフィア美術館所蔵の門外不出、文字通り、デュシャン最後の作品として知られています。
藤本さんは1988年にフィラデルフィア美術館を訪れ、「遺作」と「大ガラス」をご覧になりました。初めて目の前にしたとき、30分ほどその場を動くことができなかった、というほど衝撃を受けた「大ガラス」に比べて、「遺作」はなんだか嘘っぽくて、奥行きがあるようで無く、直感的に『3Dのようだ』と思ったとのこと。何より"のぞき穴"の役割であれば一つ穴で良いはずなのに、なぜか穴が二つあいているのも気になります。
その後、2004年に国立国際美術館(大阪)で「マルセル・デュシャンと20世紀美術」(2005年には横浜美術館へ巡回)が開催されるにあたり、担当学芸員の方から『「遺作」を何らかのかたちで再現できないか』と相談された際に、フィラデルフィアで受けた直感から『3Dで再現できるのでは』と提案し、実現したのが「マルセル・デュシャン《与えられたとせよ 1 落ちる水 2 照明用ガス(立体映像による再現)》」でした。展覧会でご覧になられた方も多いかと思いますが、「遺作」と同じ大きさの部屋を用意し、扉部分は実際にフィラデルフィアに依頼して撮影してもらった映像を投影、穿たれた二つ穴の向こうには、これもそれぞれの穴から撮影してもらった二枚の写真を用いて「ステレオ写真」として「遺作」を再現しました。ちなみにこの藤本さんバージョンの「遺作」、フィラデルフィア美術館に収蔵されています。
ところがその後、2009年にフィラデルフィア美術館で開催された展覧会でデュシャンの「ドン・ペリニヨンの箱」(1965年頃)が初めて公開されます。今回の東博にも展示されていましたが、いわゆるドンペリの黒い箱に、あの裸の女性が横たわるポジフィルムが何枚も収められています。「手づくりの立体視用カード・・・立体鏡のビューアーに入れるのに適した2枚1組のジオラマの写真の透明フィルム・・・」(「マルセル・デュシャン 人と作品」フィラデルフィア美術館、2018年)とあるように、デュシャンが立体視、3Dを「遺作」に何らかのかたちで用いようとしていたことが、知られることとなったのです。
デュシャンの死後、遺言にしたがって公開された「遺作」。すでに制作を止めたと思っていた人々を欺くかのように、デュシャンは約20年もの間、ニューヨークのアトリエで夫人とふたり、秘密裏に制作を進めていたとされています。
しかし藤本さんは、次いで公開された、デュシャンがまめまめしくアトリエで撮影していた「遺作」の制作途中の記録写真に違和感を覚えます。あの美意識の高いデュシャンが、こんな雑な作り方をするだろうか、と。たしかに、その場が取り繕われていればよい、というようなつくりで、布はだらしなく垂れ下がったまま、空き箱で高さをあわせてみたり、そのあたりの材料を集めて済ませているのが分かります。
そこで藤本さんの仮説が立ちます。
ドンペリの箱と雑な作り。それは、デュシャンはステレオ写真が完成しさえすればよく、ジオラマのセットは「消滅」させたかったのではないかと。でもそれが叶わないうちに死んでしまった。なぜ「遺作」は門外不出で、館長でさえ内部に立ち入れないとされているのか。なぜ20年にも渡り制作の様子を絶対に人に見られてはいけなかったのか。それは装置(セット)は作品では無い、だからこれを"作っている"ということは知られてはならないという、強い思いがあったからではないか。完璧なステレオ写真こそ「遺作」の真の在り方であり、決してもの(装置)ではないと考えていたのではないか。そう考えると、デュシャンの奇妙ともとれる一連の行動が理解できるのではないかと。
つまり、デュシャンの「遺作」は(ほんとに)3Dだった!という、新見解。
ここにあるけれど、ここにない世界への「移行」、それこそが絵画であり、美術の表現である、と。
お話は更に続きます。
足穂の物語にたびたび登場する「薄板界」、デュシャンが最後まで考えていた「アンフラマンス」。それはいま物理学の世界で考えられている最新の宇宙論「膜宇宙論」につながっているのではないかと、デュシャンの新見解への興奮冷めやらぬ、頭の整理も付かぬ間に、お話はアートからサイエンスに移行します。
「膜宇宙」とは、『我々の認識している4次元時空(3次元空間+時間)の宇宙は、さらに高次元の時空(バルク(bulk))に埋め込まれた膜(ブレーン(brane))のような時空なのではないか』と考える宇宙モデル」(ウィキペディアより)のことで、見せていただいた科学番組の映像によると、私たちの世界は、5次元世界のなかの3次元+時間、である、と考えられていて、例えるなら、バスルームを5次元、吊られた1枚のシャワーカーテンが3次元で、そこに付着した水滴が我々でシャワーカーテンから離れたり、移動することは出来ない、という説明でした。そしてその膜は複数存在し、膜同士がぶつかったときにビックバンが起こり「消滅」するのではないか、と。
・・・
「・・・あそこには「消滅局」という機関があって、第何号は何日何時までに消滅すべし、という課税が各自に割り当てられます。・・・
そこはいったいどこなんです。
どこでも!
どこでもですって?
そうです。この街は地球上に到る所にあります。ただ目下のところたいへん薄いだけです。だんだん濃くなっていきましょう。」 (稲垣足穂「薄い街」)
・・・
最後に藤本さんは、研究者や科学者と呼ばれる人たちは、今あるものや、データをもとに推察するけれど、アーティストはイマジネーション、見たことから想像を働かせることが大切だと話されました。自らの体験と実感を、顧みながら検証していくこと、それがアートの力なのではないか、と締めくくられました。藤本さんが最初にフィラデルフィアで「遺作」を見たときの直感を、稲垣足穂、マルセル・デュシャンを3Dで結び付け、膜宇宙論にまで展開させてみせたように。
今回のお話は、要所をつまんでご紹介するのが難しく思ったのと、ぜひ皆さんにもお知らせしたく、大変長くなってしまいました。2時間にわたるお話の内容を、メモを頼りに振り返っておりますが、お話しの順番や内容に、実際とは異なるところがあるかと思います。一部、引用、詳細を補完している箇所もございます。あくまでも主催者からの報告、感想ですので、ご参考程度にとどめていただきますよう、お願いいたします。
最後にお集まりいただきました皆様、毎年、新しい視座を与えてくださる藤本由紀夫さんに、心よりお礼申し上げます。
GALLERY CAPTION
山口美智留
2018年12月8日/「GALLERY CAPTION Facebook」 より転載
*無断転載は固くお断りいたします