study meeting vol.13「作られた物語」





study meeting vol.13「作られた物語」
期日:2019824()
時間:18:00-20:00
講師:先間康博(写真家)
参加費:1,500
定員:10(事前申込制)

1980年代、写真の中ではニューウェーブとかメイク・フォトと言われる動きが、ニューヨークを中心に巻き起こる。写真は真実を伝えるものではないとは思われはじめたけれども、それでもまだ曲がりなりにも目のまえの現実を写したものと思われていたものが、この時代、大きく転換することになる。テイク(Take:撮る)からメイク(Make:作る)へ。自らの思う現実を作り上げ、撮影する。それらは、人形であったり、自分であったり、愛犬であったり。此処にはない夢の世界を作り上げ、その中で遊ぶ彼等の現実を写し撮る。写真は画面の向こう側へも旅立てるということを、この時、示されたのかもしれない。同時にそれは、創作というアートの世界へ写真が本格的に入っていく入口にもなったのである。_____先間康博(写真家)


画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、室内


今回のお話は、ピクトリアリズム(絵画写真)の代表的な作家、オスカー・グスタフ・レイランダーの「人生二つの道」(1857年頃)からはじまりました。

写真の芸術的価値がまだ認められていなかった時分、レイランダーは30枚以上のフィルムを用いて写真を合成することで、絵画的な表現を試みたとされています。それから時を経て1970年代、ロバート・スミッソンやデニス・オッペンハイム、リチャード・ロング、日本では榎忠、野村仁らが、美術としての行為、その結果を記録として残し、それ自体を作品と位置づける作家が現れはじめ、美術の表現手段として、写真が多く用いられるようになります。

そしてそれまで、「曲がりなりにも目のまえの現実を写したもの」とされていた写真の在り方の一方で、「撮る(take)のではなく作る(make)」、対象を作り、構成することで現実を作り出す「メイク・フォト」と呼ばれる表現が台頭しはじめます。それらは、見たことがない、まったく新しいイメージを作り出すのではなく、ファンタジーや映画の一場面のように、どこかで見たようであるけれど、どこにもないような、まさに“作り物” のイメージであり、「シュミラークルとシュミレーション」(1976-79年頃)でボードリヤールが提唱した「オリジナルなきコピー」の世界の中にリアリティを感じさせるような作品が、数多く生まれます。バーバラ・カステンや、人形を用いたローリー・シモンズ、ベルナール・フォコン、そして自らが被写体となるシンディ・シャーマン、ソフィ・カル、森村泰昌、ジェフ・ウォール、トーマス・デマンド・・・80年代から今日に至るまでの彼らの作品は、現実と現実でないもののはざまで、リアルとは何かを問いつづけています。


『私の作品は、フェミニストあるいは政治的な意見を積極的に表現しているとは思いません。確かに、作品のなかにあるものはすべて、私がこの文化のなかで女として見てきたものから生まれてきたものです。そういったものの一部は、愛憎一体の関係だと言えます。たとえばお化粧や魅惑的なことがらに夢中になりながらも、同時にそれを憎むというような心理、好ましい、あるいはできるかぎりセクシーで美しい女性に装おうとしながら、同時に、そういったことに価値を見いだす構造に捕らわれた、囚人のような感じがするという経験からきたものです。男性ならこういった事柄を、自身の問題としては決して考えられないでしょう。』

『もしアーティストが、「検閲をパスするためには、どんな作品を作らないといけないか」と考えなければならないのなら、私はそんなやり方で、自分自身を検閲することはしたくない。事実、私は逆をするつもりです。つまり、そういった美術館では展示できないような作品を作るということです。』(「シンディ・シャーマンへのインタビュー」/シンディ・シャーマン展図録、朝日新聞社、1996)


今回、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の問題もあり、配布された資料のなかの、シンディ・シャーマンの言葉がひときわ目に留まりました。終了後の質問の際、参加者の方から、シンディ・シャーマンの作品が、フェミニズムやジェンダーの問題から語られることに対して、意見を求められる場面がありました。

先間さんは、(そういった問題も含めて)世の中のすべての土台の上に美術というものがあるのであり、分けては考えられないものなのではないか、たしかにそういった切り口を見つけることで、作品について語りやすくなったり、理解されるところがあるというのも、ひとつの事実であるけれども、まず作品をとにかく見てほしい。たとえ写真であっても、絵画や彫刻と違って、マチエールやテクスチャーの差がそれほど無いとしても、資料ではなく本物のプリントと向き合って、自らがまず考えてほしい。作家のステイトメントや解説は、後から読んでも遅くはない、(分からないことも含めて)そこから自分が何を受け取ったのか、知識や情報ではなく、エモーショナルな部分を大事にしてほしい、と答えられました。

この写真講座は、先間さんが受け持っている美術大学の「写真論」の授業をベースに進めています。そのため、作家名や専門用語、美術の時代背景等、予備知識が無いと少し難しく思われるところもあるかもしれません。皆さんに分かりやすく丁寧に、という内容ではありませんが、写真史の流れや、美術の本質的な在り方、そして何より「ものを見る」ことについての先間さんからの問いかけでもあります。

次回は2019年9月14日、「タイポロジーと現代写真」として、ベッヒャー夫妻、トーマス・ルフ、ティルマンスら、ドイツの現代写真がテーマです。ビックバンや目の発生にともなう細胞レベルのお話から、ようやく現代までたどり着き、そろそろ終わりも見えて参りましたが、ここへ来て、お客さまからあれこれリクエストが届いております。一番お声が多いのは「先間康博自作を語る」ですが、その他、写真についてこんな話が聞いてみたい、というご要望もお待ちしております🍎