study meeting vol.12「私写真とともに」





study meeting vol.12「私写真とともに」
期日:2019年2月3日(日)
時間:16:00-18:00
講師:先間康博 (写真家)
定員:10名
会費:2,000円 (青森のシードル、軽食付き)


12 回目となる今回の study meeting は、荒木経惟やナン・ゴールディンをはじめとする、 自身のプライベートな生活を撮影した写真家を紹介する。それらの写真群を、私写真として 広めたのは、2000年に『私写真論』を刊行した飯沢耕太郎(写真評論家)であるが、 その代表格が荒木経惟である。虚か実か、自他ともにその性を曝け出し、時にそのあり方が問題となる。一方、ナン・ゴールディンは、自らの仲間との性も暴力も含めた生活の中に写真を置く。このように、私写真は、赤裸々に作家自身を語りながら、見る者に人間とは何かを問いかけてくる。思えば、何よりも多く写されてきたのは人々の写真である。人を撮ることは、貴方を撮ることであるが、それは身近な存在ゆえに、私を見つめることでもある。 そこに、自身の弱さと強さ、その全てを表そうとする彼ら写真家のあり方を知ることはまた、 私たちの今のあり方を見つめ直すことにもなるのではないだろうか。
先間康博(写真家)



画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、座ってる(複数の人)、リビング、テーブル、室内



荒木経惟、ラリー・クラーク、ナン・ゴールディン、ティルマンス、古屋誠一… 私的で、時に強烈な生と性を写した431枚のスライドの根底に横たわっていたのは、死のイメージでした。昨年、問題となった「#Me Too」について引用された、森村泰昌の「アラーキー殺害計画の真相」。

『私の考えでは、簡単にいうとアラーキーとは彼女たちにとって道具に過ぎないのである。(中略) いつか自分は自分の撮っている女の子たちに殺されて、捨てられるだろうということを知っていて、徹底的に行くところまで行くことに彼は決めたのかもしれない、やがては彼女たちが写真機を持つことになる。いや事実持ちはじめた。そうなればアラーキーという道具は廃棄処分にされる。』(「ユリイカ」1996年1月臨時増刊号「総特集=荒木経惟 写真偽作者の55年)

#Me Too を予言していたかのようなこの文章が、いまから約20年も前に書かれていたことにも驚きますが、写真家と被写体の関係性の破綻を「死」になぞらえた森村さんの直観からしても、「私写真」と「死写真」、同じ音を持つのは偶然ではないのかもしれません。

次回は「作られた物語」(仮)として、バーバラ・カスティン、サンディ・スコグランド、森村泰昌、ソフィ・カルなど、コンストラクティッド・フォト、メイキング・フォト、と呼ばれる写真をご紹介します。